本記事は「ヒプノセラピー出産体験記⑤」の続きになります。
出産後
今、私の目の前に赤ちゃんがいる。思わずお腹を触ると、今にもはち切れそうだったお腹が物理的に小さくなっている。そうしているうちに、先生が慣れた手つきで胎盤を取り出し、会陰切開の痛め止めの点滴を用意し始めた。
赤ちゃんを産んだら、赤ちゃんのように無力になった。お手洗いに行っても良いか聞くと、忙しそうにしてる看護師さんに「はい」と、たらいを渡されて驚いた。その瞬間に、自分の下半身がこむら返りで全く動けない状態であることに気付く。赤ちゃんがこの世に生を受けたのが14時。出産後6時間は立つことも禁じられ、生まれて初めて点滴を打った。全く力が入らない体で、ぼんやりと天井を見つめながら、「案ずるより産むが易し」という言葉をふと思い出した。乳児死亡率が高かった昔に、この言葉が生まれたという事実に頭がクラクラする。むしろ、無理やりにでも言葉にすることで、産み続けて来られたのかもしれない。
出産中は、赤ちゃんの心拍数のモニターしか見てなかった分娩室。改めてゆっくりと見渡してみると、産婦人科と言うことで、蝶々や象さんの可愛らしいイラストが飾られているけれど、私のベッドの周りは血が飛び散り、尿もあり(!)、さながら戦場だった。もう何でもありの世界だ。SNSには、出産直後の美しい方々の写真がたくさん出てくるから忘れてたけど、命を生み出すってこんなにも爆発的なエネルギーが必要で、同時に命を削ることなんだ。
そして、あっという間に赤ちゃんと初めての夜を迎えた。生まれて初めての授乳。赤ちゃんはミルクを欲しがるけど、授乳が上手くできず、何度もナースコールを鳴らす。暗闇の中で、生まれてほやほやの生き物と目が合う。私も疲れていたけれど、興奮して寝付けない。アドレナリンがますます放出されているような気さえする。
出産の翌日は、出産の疲労、睡眠不足、パートナーにしがみついていた両腕の筋肉痛、そしてお尻の痛みで、全身がボロ雑巾のようだった。上半身を起こすにもエネルギーが必要で、病室のベッドが角度を調整できるタイプで助かったと思ったと同時に、これに慣れたら、退院した後はどうなるんだろう、という不安にもなった。それでも、結局最後まで消えることのなかった悪阻は魔法のように消えた。本当に、何だったあれは!
私は、授乳できるようになるのかな。出産前、パートナーにそう言ったことがある。確か、妊婦向けの雑誌に、出産前にお乳が出ることがある、と書かれていたけど、私は全く出なかった。そして、どうなるんだろう、という疑問が頭の片隅に残りつつも、気が付けば娘が目の前にいる。有難いことに、今はどこでも粉ミルクは買えるけど、疲れている体で細かい計量だなんて、できれば避けたい。いや、絶対やりたくない……。
出産の翌日、夜に急に胸が張って石のように固くなり、病気になったのかと不安になった私はナースコールをした。若い看護師さんが、私の体を実際に触って確認し、おそらく授乳準備のために体が変化したのではないか、言う。え、そうなの? 本格的な授乳が始まる前に、こんなに体が変化するなんて知らなかった。私は出産前に、日本語でもドイツ語でも妊娠と出産の情報を集めていたけれど、本当に初耳だった。翌朝、授乳の担当者が来てくれて(名札にも、授乳担当と書かれていた)、授乳のやり方を丁寧に教えてくれた。少しずつ、自分の身体から「乳」が出てきた。本当に「母」になったんだ、とじわじわ実感する。そして驚いたことは、搾乳する時も授乳する時も、アドレナリンが出たことだった。手の指先が熱くなり、興奮状態に入る。前世では、自分はモンスターだったのかもしれない。
ヒプノセラピーの講座に産後用もあるのを思い出し、その夜携帯のアプリを開いた。病室で、優しいBGMと同時にクリスティンさんの優しい声が響く。「出産を体験させてくれた、この体にありがとう」という言葉に、涙が出そうになった。妊娠テストで陽性反応が出た日から、終わりの見えない数か月の悪阻。ビッグベイビーの出産。10か月の記憶が、走馬灯のように頭を駆け巡る。 しばらくして、深呼吸してあのディズニーの「世界観」に入ることで、心身ともに緩めることができ、少し疲れが抜け、ヒプノセラピーは出産後も続けようと決意した。油の切れた機械のような身体にエネルギーを与えるために。アドレナリンを鎮めるために。そして、気持ちを穏やかに保てるように。
一方、担当医から、会陰切開の切り傷が完治するまで前後開脚禁止令が出された。無知だった私は、会陰切開の切り傷も一週間くらいで完治すると思っていたので、最低6週間は自宅で安静してね、と言われた時はショックでその場に倒れそうになった。妊娠中、お腹が大きくなっても毎晩続けていた前後開脚。それはバレエに必要な練習であり、毎日少しでも自分を磨いている、という実感を持つような誇りだったことに、その時初めて気が付いた。ちなみに、私の好きなバレエダンサーの一人は、ロシア出身のディアナ・ヴィシニョーワで、彼女は41歳か42歳で第一子を出産している。出産の2週間後に舞台で踊った、とインタビューで話してたことがあり、そっか~! 一週間休んで、一週間練習したんだ~! と軽く考えていたけれど、1000万に一人いるか、いないかレベルの奇跡だったのだ。
私が会陰切開により疲労困憊でほとんど動けなかったこと、そして娘が黄疸(おうだん)になったことで、一日遅れの退院になったものの、一週間後に無事に自宅に帰ってくることが出来た。2人で出発し、3人になって帰宅した私達。自分の人生の中の章が一つ終わり、次の章が幕を開けた高揚感、疲れ、喜びがあふれ、自宅のベッドに横になった瞬間、また涙がとまらなくなった。
写真・文/金 明希 (きむ みょんひ)
1991年東京生まれ。
出版社、翻訳会社の勤務を経て、2018年よりドイツ在住。
Instagram: @mion_91k