6回連載の第5回目です。
前回まで煎茶の淹れ方に終始してしまった感がありますが、今回は日本茶を語る上では外せない(?) 茶道のことについて書いてみたいと思います。
煎茶のことついては、お茶農家さんでもお茶屋さんでもなく、ある意味消費者にも近い立場から書かせていただきました。茶道についても仕事として関わっている人や先生という専門的な視点ではなく、あくまでも習っている人という立場から茶道に興味を持つに至ったきっかけとその魅力について書かせていただきます。
そもそも私は日本文化にほとんど興味がなく、どちらかというと西洋文化に興味がありました。美術館に行くにしても西洋美術や現代アート、ファッションや音楽にしても興味があるのは海外のもの。海外の文化が新しくてかっこよくて価値があるという認識で、日本文化は古くて面白くないもの、あのような渋い世界の何が良いのか分からないし興味がない、そんな感覚でした。茶道人口がかなり少なく、減少傾向にあるという点を鑑みると、そこまで茶道に興味はないという方が大半だと思います。
なぜ茶道に興味を持つようになったのか
食から茶碗への興味
アートやファッション、音楽だけでなく美味しいものを食べることも好きでしたが、興味があったのはやはり西洋料理です。舶来ものが好きな日本人的な性質なのでしょうか、食に関しても海外のものが良く見えてしまいます。プラントベースな食生活にシフトしたためここ数年は行く機会がほとんどなくなってしまいましたが、以前は定期的にフレンチやイタリアンのレストランに行っていました。
色々なお店である程度食べたところで、日本人なのにきちんとした日本料理を今まであまり食べたことがないことに気付きます。日本料理のお店を探したものの、紹介制のお店が多く簡単に行けそうなところは見当たりませんでした。そんな中で見つけたのが八勝館という名古屋にある料亭です。
堀口捨己設計の数寄屋建築でゆかりのある北大路魯山人の作った器で本格的な日本料理が食べられるとのことで、名古屋まで行くことに。美術館に行くのは好きだったため、せっかくだからと八勝館に行く前に都内でちょうど開催されていた北大路魯山人展に行って魯山人の作品を見て色々調べ始めると、尾形乾山にたどり着きそこから徐々に陶芸作品や日本の芸術作品にも目が向き始め、茶碗の良さを感じるようになります。歳を重ねたらいつかは茶碗や陶芸、日本文化や茶道の良さも分かるようになるのかもしれないなと思っていましたが、予想していたより30年ほど早くその時が訪れました。
禅からの興味
時を同じくして世界的にZENやマインドフルネスという言葉が流行り、日本にも逆輸入的に入ってきて禅がブームになっていました(ZENと禅は正確には異なるものという理解ですが、ここでは便宜上「禅」で統一して話を進めます)。もともと流行りに乗るのはあまり好きではないので最初のうちは敬遠していましたが、アップルのスティーブ・ジョブズが禅に大きな影響を受けていることを度々見聞きするので調べてみました。
ジョブズによるiPhoneのデザインはシンプルで美しく当時は群を抜いた存在で衝撃的でした。そんな振り切ったプロダクトを生み出す元になる思想がどんなものか興味がわかないはずがありません。もともと大学では西洋哲学を専攻していたので、日本の思想や禅についても興味はあったのですが、やはり若い頃は西洋思想の方が魅力的に映り、禅は後回しになっていました。
不立文字の禅の思想を言葉で語ることはできないのですが、不要なものを削り本質だけを残す禅に非常に共感を覚え、その中に日本独自の美の要素にも通じるものを感じました。更に調べていくうちに茶道も禅との結びつきが非常に強いことも知り、そこから茶道への興味が増していきます。
茶道の魅力について
上記のように食から陶芸、茶碗、また禅の思想的な観点への興味から茶道を始めて今年で7年目になります。茶道は何年やっても終わりがなく、まだまだ始めたばかりなので何も分かったようなことは言えませんが、それでも実際に続けてみて感じる魅力があります。着物が着られて和菓子が食べられる、というだけではありません。むしろ砂糖の取り過ぎは身体によくないことなので注意すべきことだと思います。
お点前
恐らく多くの人がイメージする茶道はお点前を覚えなければいけないし、何やら難しそうといったものだと思います。お点前も最初のうちは簡単なものでもなかなか覚えられず、毎回覚えられない自分に向き合わねばならず、毎回少なからず失望し焦ります。
しかし暫く辛抱強く続けていると、頭で考えなくても手が勝手に動くようになりお点前もスムーズに運び、お湯の音、お茶の香、それぞれの道具の質感を感じて身体が研ぎ澄まされたような感覚になります。ミハイ・チクセントミハイが提唱する「フロー」の状態、極度に集中しながらもコントロールできていて、やっていることとの一体感を感じられる状態です。お点前をやっている時間が心地よいものに変わり、苦痛だったものが楽しみになります。
無意識でお点前ができる状態でも、それを更に意識化して深めていくことが重要なのではないか、とも思う今日この頃です。これが合っているかどうかは分かりません。
味わうということ
茶道の魅力の一つが、茶、食、香、音、書、歌、工芸、建築、自然、身体などあらゆる要素を含んでいるため、生活の全方位において、感じて味わうことができるようになる、という実感があります。
食には茶懐石を作る料理のプロがいて、香には香道もあり調香師というプロもいて、書には書道もあり書家というプロもいて、茶碗を作る陶芸家というプロもいます。それぞれの分野でプロがいるほど奥が深い世界ですが、茶道にはそれぞれの知識が必要とされるため必然的に色々な分野について学ぶことになります。そうすると、知らなかった料理の工夫や香の作法、筆の扱い方、焼き物の難しさなどを知る機会を得ることができます。今までと同じものを見ていても、自らが知識として、経験として知っていることが増えると、今まで見えていなかった部分が見えるようになります。茶道を通して表面に見えていない、奥にある過程や物語が見えて味わえるようになると、何をしなくとも豊かさや幸せを感じられるようになると思います。自然を見て季節の移ろいを感じ、書や画、茶碗を見ても味わい深く感じるようになります。
茶道があらゆる分野の知識を必要としているため、逆に言うと食も花も陶芸も建築も着物もと、様々なことに興味がある人にとっては一生かけても終わりがない楽しみとなり得るものと言えます。
生の術
岡倉天心が “ The Book of Tea” の中で “Art of Life” と書いたように「生の術」という感覚がとてもしっくりきます。茶道は生活のあらゆる面で生きるものであり、生かされていないと勿体ないと感じます。実際にできているかというと、できていなかったと気付くことの方が多いので、ある意味ではできていないから茶道を続けているとも言えます。
人との接し方、気遣い、道具の扱い方、花を生ける、季節に応じた設え、自分のととのえ方、身体の使い方など、普段の生活に生かせることは多々あります。お茶会だけが本番、ではなく日常生活にも生きるものなので、多くの人が茶道を経験することにより、お互いがより生きやすい社会になるのではないかと思います。
茶道のイメージ
何も知らない時点でのもともとの茶道のイメージは、古くて渋い趣味、格式がある、敷居が高い、何だかややこしそう、難しそう、その結果として始めにくいというもので、興味を持つ気配が見当たらないものでした。しかし、興味を持って実際に調べてみると今では色々な茶道教室があり、正式な組織に属す厳格な教室もあれば、きちんとした内容でありながらも正式な組織には属しておらず比較的柔軟な教室もあり、選択肢が沢山あることが分かりました。現在私が通っている茶道教室もどちらかと言えば後者の方で、茶道の本質的な部分を残し、難しくしている仕組みは取り入れない教室です。お稽古で使う和菓子も手作りで作ることがありますが、材料も自然栽培や農薬化学肥料不使用のもの、抹茶に関しても農薬不使用や有機栽培のものを中心に使用するという茶道教室です。
ここまでこだわっている茶道教室は珍しいかもしれませんが、恐らく一般的なイメージより実際は始めやすい環境になってきているので、前からご興味があったという方、もしご興味を持たれたという方はぜひお住まいの地域、通える場所に茶道教室があるかどうかを調べていただき、気軽に始めていただきたいと思います。
文・写真/正垣克也
カフェ「お茶と食事 余珀」店主、日本茶インストラクター。茶道と日本茶、オーガニックでプラントベース なライフスタイルをゆるりと発信中。お店では身体にやさしい食事やお茶、リラックスできる空間を提供する。
Instagram:@shogakik