ドイツで「ヒプノセラピー出産」体験記⑦|金明希さん

本記事は「ヒプノセラピー出産体験記⑥」の続きになります。


 

退院後

妊娠前、育児のエッセイコミックや子育ての本を何冊か読んだり、ライフハックを集めて、脳内で未来の子育てのシミュレーションをするのが好きだった。そして安定期に入り、これまで読んだものを読み返してみたら、生後2週間についての記述がどれも極端に少ないことに気が付いた。「数時間おきの授乳で寝不足でした」「授乳がなかなか出来なかった」といった情報しか書かれていない。それくらい、授乳、おむつ替え、そして寝かしつけだけで一日が終わるのか。それくらい、「記憶が無い」期間なのか。一体どうなるんだろう、と一人で緊張したりしていた。

 

果たして、その通りとなった。退院直後は、会陰切開の痛みと睡眠不足で全身フラフラになり、更に授乳の度にアドレナリンが出てしまい、毎日精神的にも莫大なエネルギーを消費して過ごした。時間が「溶ける」ように過ぎていき、気が付けば口癖は「え?もう〇〇時?」。またパートナーからも「もう〇〇時だよ(搾乳の時間だよ)」と言われて、思わずショックな顔をしたこともをよく覚えてる。出産前、日本にいる家族にこまめに連絡していた私が、どんどん返信を後回しにするようになっていく。そんな変化に、自分も、家族も驚いた。

 

 

自宅に戻ってからは、生活のリズムを作っていくことに忙しく、ヒプノセラピーの存在を忘れかけたけれど、少しずつ再開していった。とはいっても生まれて初めての子育て。毎日、毎時間が試行錯誤で、催眠状態に入れるような落ち着いた時間はほぼ取れないので、授乳の時にやることにした。深呼吸をし、赤ちゃんが問題無く飲めるよう気を配りながら、ゆっくりと自分が想像した世界に身を入れる。簡単ではないけれど、終わる頃には、体の疲れの半分くらいが消え、気持ちが少し穏やかになっているのが分かる。同時に、ヒプノセラピーで呼吸を整える度に、こんなにも気持ちも、体もガチガチに凝り固まっていたのか、と気が付いてショックを受けた。昔読んだ「名探偵コナン」に「人間の記憶力は1秒ごとに薄れていく」という表現があったけど(確か、妃 英理のセリフ?)、体で例えると、一秒ごとに体が凝っていくイメージ。むしろ、生活するだけでも放っておくとガチガチになるから、積極的に緩める時間を作ろう、もっと日常生活の一部にしていこうと思うようになった。

 

一方で、生まれてきた娘が穏やかな赤ちゃんだったことに、パートナーと私は驚いた。お腹の中で毎日元気に動き回っていたから、もっとすさまじい泣き方の赤ちゃんを覚悟していたけれど、比較的穏やかな子が生まれることが多いとクリスティンさんも講座で話していたので、ヒプノセラピーの影響は何らかの形であったのかもしれない(ちなみに、日本語でヒプノセラピーのことを調べてみた時も、同じような情報を見つけた)。とはいえ、穏やかであっても赤ちゃんは赤ちゃん。ある程度、生活のリズムができるまでの寝かしつけの時には苦労した。だっこして、歌を何曲も聞かせ、YouTubeで睡眠用の音楽を流す。だけど、出産後にどんなにつらい時でも、どんなに寝てくれない時も、あの終わりの見えない悪阻と比べたらマシ、なんとかなる。そう考えたら気持ちを落ち着かせることが出来たのは大発見だった。あの辛かった悪阻の唯一最大の長所は、比較対象にすることで、気分を取り戻すことができることだった。ああ、妊娠初期の自分に伝えたい!

 

出産前の母親学級では、助産師さんからホメオパシーを出産後に使うことを勧められていた。「体を戻すのに、本当に効果があるのよ」と。ということで、元々ホメオパシーにお世話になっていた私は、出産後すぐに先生に連絡。会陰切開の傷口を早く治すための薬(レメディー)を処方してもらった。会陰切開は出産中よりも、出産後の方が傷口の痛みがひどく、特に自宅に戻ってから2週間くらいは、立つことも、歩くことも、座ることも辛かった。だけど3週間くらいたった時に、痛みがほぼ消えた感覚があり、動くのが一気に楽になった。パートナーからも、訪問助産師さんからも、「元気を取り戻してきたね」と言われるようになったのはこの頃だ。

 

基本的に6週間は自宅で安静にするよう指示されていた私は、出産後3週間、考えてみればコロナ時代よりも長く引きこもって過ごした。自宅のあるアパートの4階から玄関の郵便受けを見に行くという、記念すべき3週間ぶりの「外出」の後、出産一か月後にあった産婦人科の検診では、傷口が9割元の状態に戻っていることが分かった。傷口が綺麗になってるよ、と先生に言われた時の安心感と言ったら! その時ばかりは、ヒプノセラピーを一切せずに、診察室で気持ちも体も一気に力が抜けたのが分かった。帰り道、路面電車の中で私はずっと上機嫌だった。娘が生まれて一か月が経ち、夜中の授乳回数が4回から3回に減り、ちょっとだけ精神的・体力的・時間的に余裕が生まれたころ、フランス出身の歴史学者エマニュエル・トッドが、「乳児死亡率」からソ連崩壊を予測した事実を思い出した。妊娠前はあまりピンと来なかったけれど、その乳児死亡率という言葉の背景が、今なら分かる。確かに悪阻は地獄(!)だったけど、健康な体で妊娠生活を送り、安心して出産し、子育てができているのは、暑さや寒さに苦しむことなく過ごせる家があり、出産までの毎月の検診で胎児の健康を確認することができ、スーパーに行けば、食料品が山積みになっている場所に住んでいるから。一人の妊婦が健やかに過ごすための、衣食住と医療環境が整っている、一言で言えばお金がかけられている社会にいて、それが乳児死亡率に凝縮されているのだ、と。ドイツでは現在出産にかかる費用はほぼ無料で、全て健康保険が適用され、請求書が一度も届かなかったことも本当に有難かった。

 

毎日しっかりエネルギーを消費する中、溜まっていた疲れを出すようなイメージで集中して息を吐き出し、心地よい催眠状態に入る。私は自分の人生を振り返って、今の自分で母親になれて良かったと思っているけれど、生物学的には「高齢出産」一歩手前で、決して早くは無い。健康優良児だとしても、体には相当な負荷がかかっていることは間違いない。だから、人間の土台を司る呼吸に意識を向け、それが日常生活の一部になったことは、素晴らしい選択だったな、と思う。授乳時は積極的にヒプノセラピーをするようになり、それ以外にも、洗濯物を畳む時や、食器洗いをする時は、できる限り深呼吸することにした。それ自体は誰にも伝えていなかったけれど、その変化にパートナーも気が付くようになったらしく、「お、今ヒプノセラピーしてるのか」と声を掛けてくれるようになった。

 

娘が生まれて4か月が過ぎ、年明けの産婦人科の検診では、前後開脚の練習を再開して良いとの許可が出た。ついに復活した寝る前のストレッチ時間で、ヒプノセラピーを取り入れ始めた。ただただ脚を伸ばす練習するよりも、体が確実にほぐれていくのが分かる。伸ばす時は息を吐いて~、と昔先生が言っていたような記憶はあるけれど、「息の吐き方」について、こんなにもずっと考え、練習したのは生まれて初めて。バレエを始めた小学生の時に、もっと知りたかった。タイムマシンで過去に戻れるなら、そっとアドバイスしてあげたい。

 

私が愛してやまないモデルのミランダ・カーは、毎朝起きると最初に20分間瞑想をする、とインタビューで話している。初めて聞いた時は、その時間があったら寝れば良いのに、と正直思ったけど、今なら分かる。4人の子どもがいて、自分の会社の経営とモデル業がある彼女の生活が、大変じゃないはずがない。これはあくまでも憶測だけど、不安や、ストレスを意識的に吐くようにして、そしてその時間を意識的に取るようにしているんだろう、と思う。 私がやっているのは催眠療法で、種類は厳密に言うと違えど、呼吸に意識を全集中させる点は同じだ。昔、「非行少年は深呼吸が出来ない」という文章を見かけたことがある。確かに、集中して深呼吸できたら、盗んだバイクで走りだす未来はそもそも選ばない気がする。

 

気が付けば、ヒプノセラピーを始めて一年が過ぎた。元々多趣味な私は、それまで自分がストレス解消が得意な人間だと認識していたけれど、それは「気分転換」が得意だったんだな、と気が付いた。もちろん気分転換も人生で大事であることは間違いないけれど、呼吸で心身ともに芯からほぐしていく、というのは、義務教育に組み入れた方が良いんじゃないか、と思うくらいの効果を発揮するものだと知った。

 

あの時お腹の中にいた命は、気が付けば目の前でキャッキャッと声を上げて遊んでいる。子育てでは、予測不可の事項が多いけれど、きっとこの先も、ヒプノセラピーは私の日常生活における活力となってくれるのだろう。授乳中にコトンと寝てしまった、ヒプノセラピーと共にお腹で育ち、共に生まれ、育っている娘の寝顔を見ながら、そう思った。

 


写真・文/金 明希 (きむ みょんひ)
1991年東京生まれ。

出版社、翻訳会社の勤務を経て、2018年よりドイツ在住。
Instagram: @mion_91k

 

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