ごはんがすすむ!なすの焼き肉風 他

濃いめの味付けでごはんがすすむ!
なすの焼き肉風


材料(2人分)
なす(5㎜厚さに縦に切る) 2本
小麦粉 適量

[A]
長ねぎ(みじん切り) 10㎝
しょうが(すりおろし) 小さじ1
おろしにんにく 小さじ1/2
コチュジャン 小さじ1
しょうゆ 小さじ2
ごま油 大さじ1
ごま油…適量

作り方
1.[A]の材料を合わせて、焼き肉のたれを用意する。
2.なすのまわりに小麦粉を薄くはたき、油を熱したフライパンで両面こんがり焼く。
3.2のなすに1のたれを煮からめて火を止める。

ジューシーなのにガツンとくる味わい
プチトマトの柚子こしょうマリネ


材料(2人分)
プチトマト(へたをとって湯むきする) 20個

[A]
冷水 1/2カップ(100cc)
柚子こしょう 小さじ1/2
にんにく(薄切り) 1かけ
酢 大さじ2

作り方
[A]の材料を合わせたマリネ液にトマトを漬け、30分以上冷やして味をなじませる。

のどごしバツグンの冷たいおつゆ
おろしきゅうりと叩き梅のすまし汁


材料(2人分)
[A]
きゅうり(おろし金ですり下ろす) 2本(200g)
梅干(種を取って包丁で実を叩く)  2個
冷水 1カップ
しょうゆ 小さじ1
しょうが(すりおろし) 1かけ
氷 適量

作り方
1.[A]の材料を混ぜあわせて碗に盛る。
2.氷を1人分につき2〜3個浮かべ、しょうがを飾る。

雑誌veggy(ベジィ)バックナンバーVol.23より抜粋

これからは「食べられるジャングル」の時代!?

東京の生活で気づいていった複雑な現実。様々な思いを巡らせて鎌倉へと移り住んだ、 ポップでキッチュな作品で話題となったアーティストであるデイヴィッドの新たな考えとは?

David Duval-Smith

デイヴィッド・デュバル=スミス 1970年ニュージーランド生まれのグラフィックデザイナー、アーティスト。イギリス生まれのマイケル・フランクと共に、グラフィック、映像、立体等を手掛けるクリエイティブユニット『生意気 namaiki』をスタート。近年はパーマカルチャーなどを学び、自然や農業をアートと繋ぐなど、様々な活動をしている。
www.namaiki.com

都会に住んで、エコだと思ってオーガニックの物を買って過ごしているだけじゃ、今はもう間に合わない所まで来ていると思った。だから僕は田舎に移り住んで農業を始めたんだ!

普通の人ではどれが草か、植えた植物なのか見分けがつかない程

都会ではお金がないと完全にオーガニックの生活って送れないでしょ。お金のある人しか出来ないなんて不公平じゃない? その矛盾に対して僕は自分なりにアクションを起こしてるところなんだ。
植物は何に対しても悪いことをしない純粋な生き物だよね。グラフィックやデザインは頭や口を駆使すれば言うことを聞いてくれるけど、植物は自分の思う通りにはならない。だから植物を知ること自体がとてもクリエイティブで奥深いし、学びになるよね。この鎌倉の畑は今年の11月で2歳になるんだけど、最初はほぼ一人で始めて、最近では色んな人が面白がって手伝ってくれるようになったよ。
昔は多くの人がカッコイイと思う仕事をして、がんばってお金を稼いで、そのお金で高いオーガニック食材を買っていたけど、だんだんそういう事自体に矛盾を感じ始めたんだ。そこでエコだとかオーガニックなんて言ってるんだったら、自分なりに何かやってみようと思った。東京に住んでいた時は時代の流れからか、環境にやさしいなんて打ち出したポスターのデザインをお願いされてた事もあったけど、結局はそれが最終的にゴミになってしまってエコじゃなかった。「これって偽善者だよね!」と自分に問いかけ始めてから、まず東京で庭付きの古い家に引っ越して植物を育て始めたんだ。でもやっぱり東京の庭の広さでは限界が出てきて、何処か移り住む場所がないか探し始めたんだ。それからしばらくして友達のツテもあって、ようやく鎌倉で広い畑つきの家を見つけたんだよね。しばらくの間は東京から鎌倉へ畑を耕しに通ってたんだけど、やっぱり植物はいつも見ていなくちゃダメだと感じて、思い切って鎌倉に移住したんだ。

自分が抱えている見過ごしたい矛盾としっかり向き合って、その矛盾が無くなるような生き方をする、人生においてそれが一番素晴らしいと思うんだ

庭でパーティーや食事をする時に重宝する手作りの窯

多くの人からすると、僕の考え方って究極的な考え方だと感じるかもしれないけど、僕はそうは思わない。多くの人が自分の中の矛盾に向き合わずにいるだけなんだよ。今まで僕はデザインを通して頭や口で描いただけのメディア活動だったけど、今は自分がしっかり体を動かしてゴミが出ない作品を作っていきたいんだ。要するにこれからは自分のアクション自体がメディア活動なんだ。自然に育てた植物はおいしいしくて人間が元気になって、水や空気も綺麗になって自然が潤うし、シェアリングという分かち合いの気持ちも芽生える。 僕はもともとアーティストだから、何をするにしても誰かに伝えないと意味がないと思ってる。今となっては昔僕が作った作品は、結局ゴミになるものばかりだった。僕のデザインした作品は世の中である程度評価されたけど、それに対しては何の執着もない。もちろん僕の作品に触れて喜んだり笑ってくれる人もいたから、そういうのはうれしいし別に嘆いてるわけじゃないけど、今僕が作っている野菜は失敗しても決してゴミにならないんだ。それって物凄く素晴らしいことじゃない? 僕の中の矛盾はまだまだあるけど、昔に比べたら少しは楽になったよ。 この鎌倉は意識が高い人が多いから気に入ってるんだけど、それでも僕はさらに田舎へ引っ越そうと、準備をしているんだ。でもこの場所を管理してくれる人が見つからないと移れないから、今探しているんだ。この空間は多くの人と「シェアリング」したいから、今後もこの場所がたった一人の人のための場所になって欲しくないんだ。この僕の考えるプロジェクトに理解がある人は少ないよね。ほとんどの人が物を所有したがって、何でも自分だけの物にしたがるでしょ。例えば突然今日からDJイベントやパーティーをここでやるとか、ピースウォーカーのお坊さんが20人ぐらい急に泊まりに来るとか、そういう事がいつでもウェルカムな心意気の人でなければ預けられない。要するにここはコミュニティハウスみたいな場所だから、当然ここに泊まったりする人からお金なんて貰わないよ。それが僕のやりたいプロジェクトの中でとても大事な「シェアリング」という意識だから。基本的に僕は個人の部屋というか、バックステージは要らないと思ってるんだ。今の僕は自分の時間なんてゼロで良いと思っているし、とにかく怠ける為にもの凄く働いているんだよね。

最近の気持ちとしては『生意気』から『本気』に変わったね

ベリーなど実のなる植物が好きでいっぱい植えてるデイヴィット

世の中の80パーセントの人たちが都会に住んでいるから、何でも大量生産をしなければいけない。それが大きな問題だと思う人は、田舎に移り住めば良いんだよ。全然難しいことじゃない。それが矛盾と向き合うってことなんだ。「しょうがない」と思って都会に住んでいるのは情けない事じゃない? 自分の中の「しょうがない」事は少しずつ解決しないとね。それに都会ではオレオレ派が多くて、まずは自分のこと、そして次に身近な家族や親しい友達の事しか考えられない人が多いよね。でも本当は自分の事なんて常に最後で良いんだよ。それが一番ハッピーな生き方なのに、それに気づかない人があまりにも多すぎるから、今や地球全体が病んでるんだ。都会でクーラーをガンガンにかけた部屋でオーガニック野菜を食べる。僕にとってそれは、ある意味恐ろしいことだね。 僕は外国人だから、日本のことをいつでも外から見てるんだ。もちろんニュージーランドへもたまに帰るけど、悲しい事に今のニュージーランドは実際はどんどん砂漠化してる。酪農で成り立っている部分が大きいから、広大な牧場ばかりで森林は伐採されて、土がオレンジ色で山も落ちてきてる。人間がどんどん自然を破壊してしまっているよね。でも僕がニュージーランドでそんな事を言っていると、権力者に思いっきり睨まれちゃう。日本は個人で国を破壊できる様な人物はいないでしょ。そこがニュージーランドとは違うよね。日本でも個人が広い土地を所有していたりするけど、ニュージーランドは土地が余ってるからそれとは比べ物にならない広さの土地を個人が所有していたりする訳だよ。そんな規模の自然が個人の利益によって壊されたとしたら、その威力は凄まじいよね。だから本当は法律である程度の規制を作って、好きなように使えないようにした方が良いと思うんだけどね。まあ権力者同士は繋がってるから難しいだろうね。もう本当にみんないい加減に気付いて欲しいけどね。

自然な環境に上手に全てを委ねる、それがパーマカルチャーであり、本物の自然農だよ

畳1枚破棄するのに千円かかるから、畳を貰って土に返すんだ
新木場の東京都現代美術館の地下1Fの『レストラン コントン』の中庭に作った食べられるジャングル

僕は農業において土を耕さないし、有機肥料や虫を殺す菌などはもちろん使わない。逆に虫が集まってくるような植物を植えているぐらいだよ。だって虫はお風呂なんて入らないのに、いつもピカピカで綺麗だと思わない? 僕は植物の中で、一般的な野菜よりも世界の野生植物に興味があるね。野生の力って凄いよ! ジャングルなんて何の手入れもしないのに、完璧に循環されていて凄くパワフルでしょ。だから近年の僕の活動のテーマは「食べられるジャングル」なんだ。最近は新木場の東京都現代美術館の中に、レストランが使える為の庭を作ったんだ。そこにハーブやベリー類だとか100種類ぐらいの植物を植えて、来客者が庭としても楽しめるスペースにしたんだ。 そんな感じでこれから色んな場所に「食べられるジャングル」を作るんだ! お金=リッチな生活には絶対に繋がらない。お金をかけずに、いかにリッチな生活を送れるか、これが今のテーマの一つであり、それを通してワークショップをしたり、多くの人とシェアリングしていきたいね。移住する千葉の田舎でゼロに近い生活からスタートして、何処まで行けるか挑戦するのが今から凄く楽しみなんだ。 僕はあえて人間によって破壊されてしまった場所を選んで、その大地をちゃんと再生させるんだ。土に溜まった毒素は色んなプロセスを経て数年で再生できるから、今はそれを独自に研究している所だよ。僕はリチャード・バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」やパーマカルチャーなど色んな本を読んで学んだけど、本当に良いことって、間接的であっても地球を破壊しない生き方だと思っているんだ。まあ僕もまだ完璧にできてないし、これからだけどね!
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雑誌veggy(ベジィ)バックナンバーVol.6より抜粋

世界のVeggy Peopleに聞く、食とライフスタイル(2)– デニス・バン・デン・ブリンク

ラフティングやバックカントリー・スノーボードなど、自然を中心としたオルターナティブなライフスタイルを好む人々が集まることで有名な北海道・ニセコ。この地でニセコグリーンファームと呼ばれる農場を経営する、デニス・バン・デン・ブリンクに会いに出かけた。1999年から11年間、日本に滞在している彼が語る、自らのユニークな人生、そしてオーガニック農業の未来のこと。

Going Organic
オーガニックということ

ニセコグリーンファームを始めたのは、ちょうど2年前。14ヘクタールの土地のほぼ半分を栽培に使って、パプリカ、トマト、アスパラガス、カボチャ、豆、キャベツ、カブ、オクラ、ハーブなどをオーガニックで育てている。 「オーガニック」というのは結構大変だよ。日本の農業総生産の内、オーガニック生産物はたったの0.17%ということを考慮に入れると、なおさらだ。オーガニック生産物の市場なんて、ほぼ存在しないと言っても過言でないし、農業経営者は厳しい規制と困難な市場状況に立ち向かわなければならない。 ここでは放任受粉した伝播作物を使うことで、種を販売する企業に頼らずに済むようにしている方法をとっている。種の大半は、商業化されたハイブリッドの種を押し付けられることを嫌う人々の世界的コミュニティ(注2)をとおして、アメリカやオランダから入手しているよ。 でも、商業的には多様な作物を育てるということですら、無理な話なんだよ。例えばここで育てているオーガニックトマトは外皮が薄すぎるため、大量生産できないんだ。トマトが熟れていないうちに収穫するという既存のシステムでは、簡単に破壊されてしまうからさ。 だからこそ、大切なことは消費者の意識度を育むことだと思っている。今ここでは作物が熟れたら収穫し、顧客に直接配達する方法をとっているんだ。直販をとおして顧客は農業経営者を知り、強い信頼関係が築き上げられる。同時に、消費者は旬の野菜を認識し感謝することができるようになるしね。こういったシステムは消費者の意識度の改革に一役買っていくと思っているよ。

Challenging the Norms, Being Different
固定概念を覆し、「違う」存在であること

単純に化学薬品を生活に加えたくないと思っている。食べ物であろうが、薬であろうが。すべてがナチュラルであって欲しいんだ。大自然の力は偉大で、生存するために人類が作った化学薬品は必要ないはずなんだ。 加えて、常に当たり前とされることとは違うことをしたい自分がいるんだ。自然の中で生きることや、自分の食べ物を育て、それを感謝している人々のために育てるということとかね。チャレンジがあれば、それを好んで受け入れる性格なんだと思う。チャレンジのない人生なんて、すぐつまらなくなってしまうだろう。新しいことをして、新しい体験をしたいんだ。 Fujimamasで仕事を始めたころから農業には関わっていたけれど、2003年から2004年にWWOOF(注3)をとおしてオーストラリアでウーファー体験をしたとき、オーガニック農業については多くを学ぶことができた。あの体験はオーガニック農業についてとても実用的なことを学ばせてくれたし、そこから進化することができたと思うんだ。 農業を行う際の最大の秘訣は、植物をよく観察するということ。植物が何を欲していて、植物が環境とどう接しているかについての感覚を育んでいくんだ。その結果、様々な土や肥料を調整したり、時には植物を過酷な状況へと追いやることで何がワークするか試行錯誤を繰り返しながら見つけていく。 失敗をしたら、何故それがワークしなかったかを本当の意味で観察する必要があるんだ。成功から学ぶことと同じだけ、失敗からも学ぶ必要があるんだよ。物事はいつでも軌道修正の余地がある。パーフェクトなものなんて存在しないんだから。

Sharing a Vision
これから、ビジョン

精神科病棟のある病院とは連絡を取り始めているんだ。セラピー療法の一環として患者さんを農園に招待し、働き、野菜を育てることを体験してもらい、家に持ち帰って食べて欲しい。これは旅の始まりからビジョンに欠かせない一部だったからぜひ実現させたいと思っている。また、日本の消費者にとって本当の意味でのオーガニック生産物の選択肢が生まれるといいな、と思っている。 今は日本の農業規制はとても厳しいため、生産すら制限されている事実もある。今年生産したトウモロコシの穀粒はあまりにも詰まっていると判断されたため、販売できなくて何千ものトウモロコシが農地に捨てられるはめになってしまったよ。日本という国がたった39%の食料自給率しか持っていないという事実を考慮に入れると、かなりショッキングな事実だよね。多くを生産しているのに、同時に大量の無駄が生まれている。餓えている人々がいるにもかかわらず、私たちは与えることを拒否しているんだ。 そして、ほぼすべてが政府と密接な関わりを持つJAの独占によってコントロールされているんだ。農家は生産物を販売するだけではなく、JAを通して農薬、化学肥料、種、ローンも入手するから、このシステムから逃れて存続することがほぼ不可能となる。でも、これからはそのシステムも変化を求められるだろう。農業の高齢化やそれに伴って若い人々が業界に入ることがそのきっかけになるかもしれないね。個人的には、ニセコグリーンファームでやりたいことをやりながら、少しずつその活動に貢献していきたいかな。生産物をとおして美味しく楽しい体験をまずは提供することで、他の選択肢もあるということを伝えやすい状況をつくり、模範のひとつになれればいいと思っている。結果として、今の「あたりまえ」をすり替えるような豊富なオーガニック選択肢が生み出されるんじゃないかな。そうして、一緒に成長していくのが理想的だね。 人々がもっと自分たちの環境や資源に対して意識を持ち、大規模な工場式農場から小規模生産へと移行できる未来へ向けて、できるところから一歩一歩、地道に前に進もうと思っているんだ。

【Profile】

デニス・バン・デン・ブリンク
Dennis van den Brink
1974年、オランダ生まれ。アジアを愛し、過去12年間をアジアで過ごしてきた。
種から食卓まで、食に対する深い関心と絶え間ない情熱を持つ。
大自然を愛する心に導かれ、食物連鎖から化学薬品を取り除いた「生きた食」を人々に提供したいと強く願っている。

【Interviewer & Text】

堀江里子/Satoko Horie
パリ生まれの日本人。パラインパクト/ヨガジャヤのマネージングディレクター。
世界各国を旅し、土着の文化に溶け込むことを楽しむ家族の元で、国際人として育てられる。
南極以外の大陸をすべて旅した彼女は、未だ見ぬ土地や人々に接し、全く新しいモノの見方を発見することを愛してやまない。常に新しい領域や限界にチャレンジする人生の探求者としての日々を満喫している。
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雑誌veggy(ベジィ)バックナンバーVol.13より抜粋

世界のVeggy Peopleに聞く、食とライフスタイル — デニス・バン・デン・ブリンク

ラフティングやバックカントリー・スノーボードなど、自然を中心としたオルターナティブなライフスタイルを好む人々が集まることで有名な北海道・ニセコ。この地でニセコグリーンファームと呼ばれる農場を経営する、デニス・バン・デン・ブリンクに会いに出かけた。1999年から11年間、日本に滞在している彼が語る、自らのユニークな人生、そしてオーガニック農業の未来のこと。

My Roots
始まり、ルーツ

オランダのエルメロという小さな農業の町で生まれ育ったんだ。家族はヘルスケアで仕事をしていて、精神科を専門として知的障害者を助けていた。俺も両親と同じ業界に進み、自閉症による問題行動に苦しむ患者のケアを中心に仕事をしていたんだ。でも、病院が持つ規制や規則が嫌いだった。ある程度の規則や保護は意味があるとは思うけれど、彼らにも何かきちんとした責任を与える環境が必要だと思っていたんだ。 だから知的障害者が仕事をする場所として、オーガニック農園を作ることが夢だった。レストランが隣接していて、農作物を利用できると同時に彼らが集まることのできるコミュニティとなっているようなさ。 でも当時の俺は調理も農業も共に未経験だったから、1年間休職して、人々がどのように自然の中で働き、生きているか、そして農業がどう人々の日常生活と関わりあっているかを自分の目で見ることにしたんだ。単純に世界に出て探求したいという気持ちもとても強かったしね。

Exploring, Living with Others
人と生活し、探求すること

東へとひたすら旅をしていった。トルコ、パキスタン、インド、スリランカ、ネパール、チベット、中国、韓国、そして最終的に日本に辿り着いた。 旅の大半はヒッチハイクで、時には安いバスや電車を使ったりしたんだ。最も貧しい人々と同じ手段で旅をしたかったから。エアコンのきいたファーストクラスのバスしか乗っていないと、リアルなもの、生身の生活を体験せずに人々の生活を通り過ぎてしまう。その土地に住んでいる人の食べているモノを口にし、飲んでいるモノで喉を潤し、自分の文化とは違う何かを吸収したかった。 まるまる1年旅をして、エベレストまで辿り着いた。でもそこで「自分の旅はまだ終わっていない」ということに気がついたんだ。オランダの職場にポストカードを送り、「世界の頂点に行き着いたけれど、まだ帰ることができない」、そう伝えたよ。 チベットの後は、中国各地へと自転車で点々として韓国へ。韓国の島々を旅した末、日本の下関に辿り着いたんだ。そこから東京まで自転車で北上し、まずは鎌倉、そして早稲田での生活が始まった。このときヨガジャヤのパトリック・オアンシア(注1)に出会い、彼にFujimamasという表参道のレストランを紹介されて、シェフとしての人生がスタートしたんだ。 日本に足を踏み入れたその日から、この土地に居心地の良さを感じていたよ。和食は大好物だし、とても安全な国民性も。何かに鍵をかける必要が無いんだよね。暴力や攻撃性というのが生活に充満していないんだ。多くのことを心配しなくてすむので、結果的にとてつもなく開放感のある精神的な自由を手に入れることができるんだと思う。

Expanding Perceptions
見方を広げていく

1年半ほど旅をする経験は、人との関わり方やモノの見方を完全に変えていったよ。異なる文化や宗教を体験することに皆がもっとオープンになれば、きっともっと互いを受け入れることができると思う。そして誰もがこの方向へと向かっていけば、人種対立や戦争は過去となり、世界は遥かに豊かになるんじゃないかな。 「生きる豊かさ」を本当の意味で理解することができれば、人はもっと親切で謙虚になっていくものなんだ。最も貧しい人ですら、他人を家へと招き入れ、食べ物を分かちあおうをする。その行為に触れたとき、この気づきが始まるんだ。 もちろん時代は1990年代から変わってしまったかもしれない。物事が過ぎ去る速度は更にスピードアップしているし、昔ほどロマンチックじゃないかもしれないね。 でも、異なる文化に対してオープンである必要性は変わっていないと思う。誰しも最低でも1年は海外を旅して生活することで、新しい生活環境に慣れる時間を経験する必要があるんじゃないかな。自分を何一つ変えようとしないで、自分の空間に入ってくる人々に対する不満を並べたてることは簡単なんだよ。それに、生まれ育った豊かな土地を離れることがなければ、すべてが揃っていることが当然だと思ってしまう。そして次第にそれを手放せなくなってしまって、誰とも何も分かち合えなくなってしまうんだ。

(2)へ続く

【Profile】

デニス・バン・デン・ブリンク
Dennis van den Brink
1974年、オランダ生まれ。アジアを愛し、過去12年間をアジアで過ごしてきた。
種から食卓まで、食に対する深い関心と絶え間ない情熱を持つ。
大自然を愛する心に導かれ、食物連鎖から化学薬品を取り除いた「生きた食」を人々に提供したいと強く願っている。

【Interviewer & Text】

堀江里子/Satoko Horie
パリ生まれの日本人。パラインパクト/ヨガジャヤのマネージングディレクター。
世界各国を旅し、土着の文化に溶け込むことを楽しむ家族の元で、国際人として育てられる。
南極以外の大陸をすべて旅した彼女は、未だ見ぬ土地や人々に接し、全く新しいモノの見方を発見することを愛してやまない。常に新しい領域や限界にチャレンジする人生の探求者としての日々を満喫している。
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雑誌veggy(ベジィ)バックナンバーVol.13より抜粋

パリのベジィ&オーガニック事情Vol.1

Guenmaï サンジェルマンで玄米を

賑やかなサンジェルマン大通りから少し裏手に入った静かな場所にあるマクロビオティックのプチ・ビストロといった感じのお店。基本的に昼間だけの営業だけれど、ランチタイムになると満席の事が多く、サンジェルマンという場所柄、お酒落なファッション関係者やエディター、アート関係者など、ナチュラル思考なパリジャン達が自然とここに集ってくる。
店内にはショップも併設されていて、フランスの自然食品屋さんならば何処でも置いてある「リマ食品」のマクロビオティック食材も豊富。ショーケースに入ったアジアンフュージョンなデリや、日替わりのベジタブル・キッシュやタルトなどのスウィーツはテイクアウトも可能。

1、春巻きのプレート
2、店内の中心にある癒される泉
3、ベリーのタルトがお勧め
4、ショーケースに並べられたデリ

Guenmaï
6 rue Cardinale 6区
Ⓜ Mabillon
TeI 0143260324
営:月~土11:45~15:30

Le Grenier de Notre-Dame
ノートルダムの鐘が鳴り響くレストラン

サン・ミッシェルという観光客が足を伸ばしやすい場所柄か、店内では色んな国の言葉が飛び交うツーリストが多く立ち寄るお店。セーヌ川沿いの道を1本奥に入った、ノートルダムの鐘の音が良く響き渡り、パリの風情を肌で感じられる場所。
1978年にオープンした、すっかり老舗のマクロビオティック・レストラン。セイタンやテンペを使ったスタンダードなマクロビオティック料理が食べたいときにお勧め。

1、飲みやすいオーガニックのシードルがお勧め
2、マクロビオティックの禅プレート

Le Grenier de Notre-Dame 
18rue de la Bucherie 5区
ⓂSaint-Michel
Tel 0143299829
営:月~日 12:00~12:30  19:00~23:00

legrenierdenotredame.fr

 

雑誌 veggy(ベジィ)vol.1より抜粋

取材・文/吉良さおり

種を知る旅〜Seeds of Life〜インド発!ヴァンダナ・シヴァのオーガニック革命

インド経済を支えるコットン産業の中にも少しずつオーガニックの大きな流れができ、貧しい人々をサポートしたり、伝統工芸を支えるフェアトレードなども少数派ながら点在するインド。そんな今日の流れのキッカケは、マハトマ・ガンディの唱えた非暴力の精神からだったのでした。

Jamie’s Food Revolution イギリス発!ジェイミーオリヴァーの食革命 Vol.3

写真/David Loftus  取材/デルガド智子 雑誌「veggy(ベジィ)」 Vol.53 掲載

*ジェイミー・オリバー(Jamie Oliver)*

1975年、イギリス・エセックス生まれ。伝統的なイギリス料理を得意とする。数々のテレビ料理番組に出演し一躍イギリスの有名シェフの一人となる。ベストセラーのレシピ本も多数。2003年にはイギリス女王陛下より飲食産業における功績を認められ大英帝国勲章MBEを受賞。2005年よりイギリス国内の学校給食改善キャンペーンに取り組んでおり、大きな成果をあげている。2012年には「子ども達に食の教育を(原題:Teach every chaild about food)」と題した講演でTED Prizeを受賞。

 

砂糖税導入キャンペーン活動を通して

これまで行ってきた砂糖税導入に対する活動で一番大切なことは、税制導入そのものよりも、この活動を通して訴えかけるメッセージだというジェイミー。「気づきが大切だ。自分の子供たちがどのようなものを食べ、どれだけの砂糖を不健康に摂取しているのか、気がつくように目を向けさせることが重要なんだ」と語る。

Jamie’s Food Revolution イギリス発!ジェイミーオリヴァーの食革命 Vol.2

写真/David Loftus  取材/デルガド智子 雑誌「veggy(ベジィ)」 Vol.53 掲載

*ジェイミー・オリバー(Jamie Oliver)*

1975年、イギリス・エセックス生まれ。伝統的なイギリス料理を得意とする。数々のテレビ料理番組に出演し一躍イギリスの有名シェフの一人となる。ベストセラーのレシピ本も多数。2003年にはイギリス女王陛下より飲食産業における功績を認められ大英帝国勲章MBEを受賞。2005年よりイギリス国内の学校給食改善キャンペーンに取り組んでおり、大きな成果をあげている。2012年には「子ども達に食の教育を(原題:Teach every chaild about food)」と題した講演でTED Prizeを受賞。

 

砂糖税導入までの道のり

 学校給食が随分改善されてきたとはいえ、イギリスの子供たちの肥満問題、過体重はいまだに増加の一途を辿っている。そんな中、子供たちの将来の健康を憂い、解決策の一案としてジェイミーが導入を強く訴えるようになったのが砂糖税だ。シュガー・ラッシュの放映以降、砂糖の過剰摂取の状況がどれほど深刻なのかをより理解できたことから、早急な解決案や具体策が必要だと強く感じたという。

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